江戸時代の公式な拷問の第3段階。笞打ち・石抱き責めでも白状しない者に対して、牢屋敷の拷問蔵でおこなわれた。
天和三年(1683)に火付盗賊改の中山勘解由が考案したとされる。
あぐらをかいた両足首と顎が密着するまで身体を折り曲げて縛る拷問。
両手を後ろ手に縛り、あぐらをかかせた両足首を括る。縄を臑から肩・背に掛け、足首と顎が、肩と膝が密着するまで引き絞る。
半時(約1時間)も放置すれば、全身が鬱血して真っ赤になり、脂汗が吹き出るという。さらに続ければ、紫から蒼色になり、やがて死に至る。
より苦しめる為には、箒尻で叩いたり、重石を身体に載せたりした。
火付盗賊改役宅では、石抱きに用いる十露盤板の上に女囚を載せ、さらに身体に石を積む「石抱き海老責め」もおこなわれたという。
海老責めの拷問は、時代劇ではほとんど見られない。絵的には苦しそうに見えないのがその理由と思われるが、実際はどうであるのか、体験してみよう。
まず、軽くあぐらをかいた体勢で両足首を縛る。
両腕を背で縛り、その縄尻を両肩を通して身体の前に出し、足首に通して思い切り引き絞る。
足首と顎が、肩と膝が触れるまで上体が折り曲げられ、息が苦しくなってゆく。
注意すべき点として、首の周りには絶対に縄を掛けてはいけない。首に縄を掛けて足首と結ぶような縛り方は頸動脈を圧迫し、大変危険である。
最初は余裕で構えていたが、身体を縛り固められて身動きできない状態は、思いのほか辛いものだった。
5分もすると全身汗まみれになり、自然に呻き声が漏れるようになる。
苦しさのあまり、また気を紛らわせるために、身体を動かしたいがそれも叶わず、絶望的な気分になってゆく。息をすることもままならないのだ。
縛り方や前屈の具合にもよるが、この責めを10分耐えるのは難しく、20分も放置されたら何もかも白状してしまうかもしれない。
海老責めの拷問は、見た目以上に厳しいものであった。
もしこのプレイをおこなうならば、責め手側も一度は体験したほうが良いだろう。重ねて書くが、この拷問は見た目では判断できないほどつらいものだ。
また他の責めと異なり外傷は残らないが、胸部の痛み(違和感)は数日間残ったので、その点も注意が必要であろう。