江戸時代の拷問において、海老責めが取り上げられる機会は多くない。
ムチ打ちや吊りは形を変えてSMプレイに取り入れられており、石抱きは時代劇ではお馴染みで、木馬責めは根強い人気を持つ。しかし海老責めは、見た目にも地味であり、知名度も低い。
ここでは、そんな不人気な海老責めについて、語ってみよう。
これらの図画はすべて、文化11年(1814)に編纂された『刑罪大秘録』のものである。比較のために並べてみたが、このうちどれかがオリジナルというわけではなく、すべてが写本であろう。
当時の絵師たちの模写技能をお楽しみ頂ければ幸いである。
こちらは、明治26年(1893)発行『徳川幕府刑事図譜』の図画。
この画では牢屋敷の穿鑿所の様子が描かれているが、海老責めは拷問蔵でおこなわれたものであり、史料としての信憑性は今ひとつである。
また江戸後期においては、海老責めと笞打ちを併用した記録は無いという点も指摘されている(江戸町奉行所事典)。
昭和初期、伊藤晴雨画伯の画。
妖艶なタッチだが、前屈の加減が足りない。これでは拷問にならない。
『拷問刑罰史』より。
立ち会う役人の配置も、史実通りである。付け加えるならば、画面の外に下男が控えていたかもしれない。
『拷問實記』より。
囚衣の裾はこのように巻き込まないと、丸見えになってしまう。
『捕物の世界』より。
こちらも、囚衣の裾を以下略。
ここまで図画を見てきて、不自然に感じることはないだろうか。
そう、縄の掛け方がおかしいのである。
右肩後ろから来た縄が、太股・臑・太股を回って、左肩へ戻るためには、どこかで反転しなければならないのだが、それが描かれていない。
かくいう私も、これらの絵を手本に実際に縄を掛けようとして「あれ?」となるまで気付かなかったことは秘密である。