江戸時代の公式な拷問の第2段階。笞打ちでも白状しない者におこなわれた。
三角形の木を五本並べた上に正座させ、膝の上に重石を積み上げる拷問である。
台は十露盤板といい、幅三寸五分(約10センチ)、高さ二寸(約6センチ)の三角柱を五本並べてある。
重石は、横幅三尺(約90センチ)、縦幅一尺(約30センチ)、厚さ三寸(約9センチ)の伊豆石で、一枚あたり一三貫(約50kg)ある。
まずは被疑者を後ろ手に縛り、着物の裾を捲り上げた上で十露盤板に正座させる。
背後の柱に上体を縛り付けて、暴れても身体が崩れないようにした。江戸の牢屋敷では、穿鑿所の庇受けの柱に括りつけられ、これは俗に泣き柱と呼ばれた。
そして太股の上に、一枚二枚と石を積み重ねてゆく。重石は崩れないように、縄で結わいた。
やがて被疑者は、口から泡や血を吐くので、それを受ける為に重石の上に藁が敷かれた。身体は足先から蒼くなってゆき、度を超えると絶息する。
最大で十枚まで積み上げられた記録があるが、大抵は五~六枚で自白したといわれる。
また、さらに苦しめるに石を揺さぶることも多くおこなわれた。
時代劇ではお馴染み、石抱きの拷問に掛けられた女囚の気分を味わってみよう。
三角の角材を五本並べて、十露盤板を作る。
『刑罪大秘録』によれば「すこし角を落として」とあるので、ほんの少しだけカンナで削ってある。
重石は、御影石やコンクリート板をホームセンターで購入した。一枚あたりの重さは約25kgなので、実際に使われた伊豆石の半分、横幅は三分の二ほど。これを二枚積めば、本当の拷問の一枚に相当することになる。
まずは十露盤板の上に正座してみる。この時の座り方によって痛みがかなり変わるのだが、そのことは当時の囚人たちも承知していたようだ。
この状態ですでにかなりの苦痛を感じる。臑だけでなく、足の甲の部分がかなり痛い。
そして重石が一枚、二枚と太股の上に載せられていく。
十露盤板の角が臑により深く食い込み、堪えきれない呻き声が漏れる。
たちまち脈が速くなり、息が苦しくなってくる。
上体は後ろに反らすよりも、前に屈んだほうが、幾分楽になる。もっとも柱に縛り付けられていたら、それね叶わないわけだが。
鼻先や顎先から滴る汗と、唇からこぼれた涎が、責め石の上に点々と跡を残してゆく。
少しでも石が揺れると、堪え切れぬ呻き声が漏れ出てしまう。
本気で石を揺さぶられたら、泣き叫んでしまうことだろう。
重さ50kg程度の石抱きを、30分耐えたら10万円進呈と言われても、なかなか厳しいと思う。
伊豆石二枚分、100kgの重石を長時間抱かされたら、無実の罪でも認めてしまうのではないだろうか。自白したら最後、処刑されてしまうことが分かっていたとしても。
石抱きの拷問では、太股の上から重石が除けられた後も、すぐに楽にはなれない。
十露盤板の上から身体を降ろされる時、臑に食い込んだ角材の突起が剥がれる刹那、間違えなく悲鳴を上げてしまうことだろう。
また、痺れた足に血行が回復してゆく過程も辛く、その時に足を蹴飛ばされたりしたら泣いてしまうこと請け合いである。
拷問体験では、余力を残した状態で止めるべきだろう。
ちなみに、重さ50kg、30分ほどの石抱きの後であるが、十分もすれば立って歩けるようになった。足の甲の痺れと、臑の傷が消えるまでには、半日ほどが掛かった。