伝馬町牢屋敷の女牢では、月に四度、牢内改めがおこなわれる。
町奉行所牢屋見廻与力による牢内の検分は、なおざりなものであり、問題が出ることはまず無い。牢内禁制の品々は巧妙に隠され、また牢役人や附人に予め預けておくことで潜り抜けるのが常であった。
その日の検分も、いつものようにつつがなく終わったかのように見えた。
だが見廻与力が帰ってしばらく後のことである。うっそりと現れた鍵役同心が、附人に命じて牢の格子と横木の隙間を改めさせた。
そこに隠されていたものは、小指ほどの長さの、薄い鋸歯であった。
在処を知らない者ならば、まず見逃してしまうものであった。
「こいつは何だ」
牢内に三人ほど居た女囚たちが、どよめいた。そんなご大層な物が牢内に隠されていたとは、知ろうはずもなかったのである。
「こいつを持ち込んだのは誰だ。信乃、お前か」
鍵役は、牢名主の信乃を呼び立てた。
「鍵役さま、言い掛かりは止してくださいまし」
信乃は落ち着き払った面持ちで、鍵役を見上げた。
「牢名主のお前が、知らぬわけあるまい」
「いくらお訊ねを受けても、存じ上げぬことは申し上げられません」
信乃はきっぱりと言い放ったが、身体は微かに震えているかのように見えた。
「そうかい。では、お前の身体に聞いてみるとするかな」
*
信乃は拷問蔵に引き立てられ、木馬責めに掛けられていた。
公式の拷問では用いられることのない、背の尖った拷具に跨がらせる責めである。
股間には、鋭利な木馬の背が、容赦なく食い込んでいる。
両足首には、重石が吊され、さらに股間に苦痛を与えていた。
「牢破りを企む不届きものめ。牢内にこの鋸を持ち込んだのはお前だろう」
鍵役が自白を迫ったが、信乃は頑として罪を認めなかった。
「ええい、申し上げろ!」
下男が腰を掴み、前後に揺さぶった。性器を引き裂かれる痛みに、信乃は悲鳴を上げた。
さらに、腰を左右にひねられ、陰部をすり潰される。
「ああッ! わたくしでは、ございません……」
「シラを切るな! お前は何か知っているのだろう!」
厳しく問いただされたが、信乃は白状しなかった。
吐く息が、熱く荒い。
激痛のあまり体中から汗が噴き出し、灰色の囚衣に染みをつくった。
鼻先からは、涙と汗の混じった滴が、したたり落ちた。
「白状するまで、揺さぶってやれ!」
鍵役が命じたとおり、下男は信乃の体を揺さぶった。
股間から流れ出た血が、内股を濡らした。
信乃は大声で泣き叫び続けた。
やがて、信乃の体は、縄で吊り上げられた。
三寸ほど吊り上げられたのち、木馬の上にドスンと落とされた。
「ぎゃあああッ!」
木馬に股間が打ち付けられ、激しい痛みに信乃は絶叫した。
再び体を吊り上げられ、木馬の上に落とされた。
「お前がやったのだろう! 申し上げろ!」
罪を認めるように迫られたが、信乃は屈しなかった。
獣のように泣き叫ぶ声が、拷問蔵に響いた。
何度も何度も、木馬の上に釣り落とされ、ついに信乃は悶絶した。
すかさず、桶の水が頭に浴びせられる。
正気づいた信乃の身体に、今度は笞が飛んだ。
囚衣をはだけさせられ、むき出しになった尻を渾身の力で打擲される。
バシィィィッ!
打たれた尻だけではなく、振動が伝わる股間にも限界を超えた激痛が走る。
「申し上げろ! 申し上げろ!」
一打ちごとに、鍵役が責め問いただした。
体力も気力もぎりぎりまで削がれた信乃は、二度目の失神を前にして、ついに折れた。
「もうしあげます……」
件の鋸歯は、先日死罪になったおきみという女囚が持ち込んだものであると、信乃は申し述べた。
死人に口なし、そのような弁明を信じる者などいるわけもない。だが鍵役、そして牢奉行は、信乃の供述を受け入れた。
町奉行所まで巻き込む煩雑な処理を避け、内々で済ませようとする意図が見え透いていた。
信乃は、ご禁制の品を牢内に持ち込みし由、見逃した罪により、牢庭敲きの刑に処せられることになった。
それは、石抱きや木馬責めに比べれば、手ぬるい仕置きと思われた。だが、この笞で叩かれただけで罪を認め処刑される者もいる。そう考えれば、軽い責めとはとてもいえたものではない。
ある日の伝馬町牢屋敷の中庭には、箒尻が肉を打つ音と、信乃の悲鳴が響き渡っていた。
*
「お前も面白い女だな。いたぶりに掛けられて喜ぶとは」
牢屋医師の手当を受けている信乃に、鍵役が話しかける。
「殺しちまわないように責めるのも大変なんだぜ」
信乃は恐れ入って礼を述べた。
「日頃、悪辣な野郎共の牢問に立ち会っているが面白うない。だが、お前みたいな娘を責めるのは誠に愉悦を覚えるな。特に木馬責めは良いものだった」
もともと鍵役は、信乃が責められて悦ぶ特異な嗜好を持つことを見抜いていた。そして信乃も鍵役に己の胸の内を述べ、木馬責めに掛けられることを望んだのだ。
公式の拷問では木馬は用いられない。だが、牢を監督する鍵役は内密に囚人の拷問をおこなうことができた。元の罪状とは関わりなくである。
その結果が、今回仕組まれた狂言であった。秘密裏に差し入れられた鋸歯を仕込んだのも、信乃自身である。
信乃は生命を、鍵役は職責を賭しての遊戯であったが、お互いに満足を得るに至ったのだ。
もともと横領の疑いで入牢していた信乃は、罪を認めれば死罪である。その後も笞打ち、石抱き、海老責めの牢問に幾度も掛けられたが、それは信乃を恍惚とさせるだけであり、自白を引き出すには至らなかった。
また信乃は、牢内秩序の責を問われて幾度も鍵役の私刑を受けた。その際は木馬が使われることが多かったという。
訴人の内済により、信乃が放免されたのは、三年後のことであった。
被虐を求める信乃にとって、それが喜ばしいものであったかどうか、余人の知るところではない。
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