偽切支丹   


 江戸時代、元禄の盛り。越後の小藩に、アキという名の町娘がいた。彼女は見目麗しく、知恵深い娘であったが、余人には理解されがたい願望をもっていた。
 アキは被虐性愛者であった。彼女は、厳しい拷問に掛けられ、苦しみ悶えることに憧れを抱いていた。特に、女性にとって最も苛酷な拷問とされる、木馬責めに強い興味をもっていた。アキは子供の頃、年貢を滞納した百姓の娘が木馬責めに掛けられているのを見たことがある。それは民に対する見せしめの刑罰であったが、幼いアキはそれを見て強い衝撃を受けた。アキは、厳しい責めに苦悶する女囚の姿に美しさを見いだし、魅了されてしまったのだ。そして、自分もあんな酷い目に遭ってみたいと、邪な夢想をするようになったのである。
 アキは、他人には決して言えない願望を胸に秘めたまま成長していった。
 ――拷問されたいなどという奇異な願いを実現させるのは、極めて難儀なことであった。拷問を受けるのは、もっぱら罪人である。少なくとも、何らかの容疑を掛けられ、捕らえられなければならない。いくら夢のためとはいえ、そんな大それた真似はできないし、親に迷惑を掛けたくはない。そう考える程度の分別はアキにもあった。――だが、何かうまい手立てはないものか?とアキは思い悩みながら、悶々とした日々を過ごしていた。
 転機が訪れたのは、アキが十八の時であった。大雨で朽ちた橋が崩れ、父と母は荷車ごと濁流に呑まれたのである。愛する両親を一夜にして失い、アキは人生の無常というものを痛感した。人はあっけなく死んでしまうものだから、やりたい事は躊躇わずに為すべきだと、アキは悟ったのである。彼女は、拷問に掛けられたいという己の夢を実現させることを決意した。
 天涯孤独の身となったアキには、もはや恐れるものはなく、気を遣う相手もいなかった。
 覚悟を決めたアキは、慎重に策を練り、準備を進めた。アキが企てたのは、禁制であるキリスト教宗徒の偽装である。彼女は、偽切支丹を演じるという、一世一代の芝居を打つことにした。
 切支丹の疑いを掛けられた者は、捕らえられて棄教を迫られ、拒めば拷問に掛けられる。昨今は、宗徒を殺さずに改宗させることに重きが置かれており、拷問では木馬責めが多用されていると聞く。そして、ここが肝心なところであるが、宗徒は改宗すれば罪を許され、放免されるのである。拷問に耐えられなかったり、あるいは満足するまで堪能できたら、棄教すればよいのである。
 アキは密告文をしたため投書した。曰く、アキは隠れ切支丹である、と。
 江戸時代初期の禁教令とそれに伴う弾圧によって、キリスト教の信仰はなりをひそめていたが、元禄の世でも依然切支丹宗徒の摘発は続いていた。切支丹の密告は民の義務であり、多額の報奨金も与えられた。
 自らの目論見により切支丹の疑いを掛けられたアキは捕縛され、宗門奉行役宅に送られた。取り調べに対して、彼女は自ら宗徒であることを告白した。(付け焼き刃の作法で)神に祈りを捧げ、絵踏を拒否した。アキは棄教を迫られたが、気丈にもそれを拒絶した。投獄された彼女は、遠からず拷問に掛けられることになるだろう。アキは期待と不安に震えながら、その機会を待った。

 再三に渡る折伏にも屈しなかったアキは、ついに拷問に掛けられることになった。
 アキは、分厚い土壁の拷問蔵に引き立てられた。土間の中央には、禍々しい責め具が鎮座していた。それは、四本の足と鋭くとがった背を持つ木馬であった。
 今アキは、子供の頃からの憧れであった、木馬責めに掛けられようとしている。期待と不安で胸がはち切れそうだった。
 全裸に剥かれたアキは、後手に縛られ、木馬に跨がらされた。
 木馬の背が股間の柔肉に食い込み、激痛が走った。さらに両足首に重石を吊り下げられ、アキはたまらずに悲鳴を上げた。
(今私は、夢にまで見た木馬責めの拷問に掛けられている)
 アキは、自分の願望が叶ったことに感無量であった。だがこの拷問の厳しさは、彼女の想像を遥かに超えていた。
 股間の痛みは一時たりとも途切れることなく、時が経つにつれて増すばかりであった。少しでも体を動かせば、激痛に見舞われた。荒く息をするだけで苦痛が走った。
 体中から汗が噴き出し、目から溢れる涙が頬を伝い落ちてゆく。
 アキは苦痛に顔を歪ませ、歯を食いしばって耐えていた。苛酷な拷問を全身で味わっていた。
(どんなに厳しく責められても、私は決して棄教しない)
 アキは自分自身に言い聞かせた。この素敵な時間をできる限り長く堪能したいと思った。
 繰り返される役人の強請と、アキの拒絶。そして時が流れてゆく。
「転べ! 切支丹め!」
 役人がアキの腰を掴み、体を激しく揺さぶった。激烈な痛みに襲われ、アキは大声で泣き叫んだ。木馬の背に会陰を切り裂かれ、傷口から血が滲み出してきた。
 激痛に翻弄されながらも、アキはこの拷問に興奮し、快楽すら感じていた。苦痛が増すにつれて、自分の中の欲望が燃え上がった。
 拷問は二時間にも及んだ。
 泣き叫ぶ力さえ失ったアキは、ぐったりして、弱々しい呻き声を漏らしていた。やがて呼吸が乱れ、口から泡が噴き出してきた。アキは苦痛と快楽に翻弄されつつ、白目を剥いて悶絶した。
 薄れゆく意識の中、アキは己の昏き欲望が満たされたことに深い悦びを感じていた。

 棄教を拒み続けるアキは、幾度も拷問に掛けられた。
 木馬の上に乗せられ、半日放置されたこともあった。気絶すると下ろされ、目が覚めると再び乗せられた。まるで無間地獄のような責めを受けて、アキは苦悶した。
 木馬の上で体を揺さぶられるのは、ことさらにつらかった。さらには、縄で体を少し吊り上げられて、木馬の上に落とされることもあった。股間の傷から流れ出した血が足を伝い、爪先から滴り落ちた。それでもアキは屈服しなかった。
 アキは、必死に拷問に耐えている我が身を愛しく感じていた。苦痛に酔い、もっと激しく責められることを望んでいた。アキは、このまま責め殺されても構わないとさえ思っていた。
「転べ! 転ばぬか!」
 今日も、役人の怒声とアキの悲声が拷問蔵に響いていた。
 アキは、どれほど責められても決して信仰を捨てない、不屈な宗徒を演じ続けた。
 厳しい拷問に耐えるアキの心は、強い陶酔感で満たされていた。彼女は苦痛に揉まれながら、不埒で後ろめたい悦びに浸っていたのだ。

 頑として改宗を拒むアキに対する拷問は、日に日に苛酷さを増していった。
 血泡を噴いて気絶するほど激しい拷問が何度も繰り返された。今やアキはまともに歩くことができないほど衰弱していた。評判であった美麗な顔はやつれ、見る影もなかった。
 だがアキは、そんな惨めな境遇に酔っていた。ズキズキと痛みを訴える股間の傷を撫で、手首や足首に残る縄跡をさすり、もはや動かすこともままならない体を抱きしめていると、形容しがたい甘美な心持ちになった。
(でも、そろそろ潮時かもしれない)
 アキはそう考えた。激しい拷問に掛けられ苦しみ悶えてみたいというアキの夢は、すでに成就し、もう思い残すことはなかった。このまま責め殺されるのも一興かと思ったが、今ならばまだ引き返せる。
 ――もう一度だけ。それで最後にしよう。
 アキはそう決意した。

 頑なに棄教を拒むアキに手を焼いていた宗門奉行は、拷問に当たる者を交替させた。新たに任に就いた役人は、残虐で知られた男だった。
 アキはその日、これまでにないほど激しく責められた。
 木馬に跨がらされたアキは、足首に今までの倍の数の重石を吊るされた。木馬の鋭い背が、限界まで深く股間に食い込んだ。
 下男が木馬の脚を掴み、揺さぶった。ギシギシと音を立てて木馬が揺れ、鋭い背がアキの股間を引き裂いた。
 悲鳴を上げて苦悶するアキの体に、竹笞が振り下ろされた。役人は怒声を上げて、アキの体を打ち叩いた。肌は赤く腫れ上がり、繰り返し打たれた痕には血が滲んだ。笞の痛みに身をよじると、股間に激痛が走った。
 アキは揺れる木馬の上で、体が砕けるほど激しく笞で打ち叩かれた。獣のような咆哮をあげ、頭を振り乱してのたうち回った。体から汗と涙と涎が飛び散り、土間に染みをつくった。
 やがてアキは失禁し、口から泡を噴き出し、白目を剥いて悶絶した。
 顔に冷水を掛けられ、アキは意識を取り戻したが、すでに虫の息であった。
 下男が後ろから腰を掴んで、揺さぶった。うー、うー、と弱々しい呻き声がアキの口から漏れ出た。役人は容赦なく、再びアキの体に笞を振り下ろした。
 今度は胸を叩かれた。乳房が真っ赤に腫れ上がり、乳首から血が出るまで執拗に笞打たれたが、アキの体はもはや痛みに反応を示さなくなっていた。
 息が詰まり、目の前が真っ暗になり、また意識が遠くなった。
 アキは無意識に哀訴していた。
「やめて……もうやめて……」
 笞打ちが止んだ。木馬の揺れも止まった。
 アキはこれが限界だと思った。自分はもう十分すぎるほど拷問の苦しみを堪能した。これ以上責められたら絶命してしまうだろう。
 アキは唇から血の混じった泡をこぼしながら、聞き取れないような小声で「転びます」と告げた。

 アキは木馬から降ろされ、縄を解かれた。土間に転がされたアキの体は傷だらけで、汗と血と尿にまみれていた。アキは、指先や瞼を動かすこともできないほど疲弊していた。しかし彼女は、己の欲望が満たされたことに深い悦びを感じていた。苛烈な拷問に掛けられてみたいという、アキの邪な願いは成就したのだ。
 アキは責め殺されても構わないと思っていたが、棄教する道を選んだ。今後は、拷問に屈して信仰を捨てた哀れな宗徒を演じるのだ。
 仏門に帰依することを誓ったアキは、監視を付けられるものの、自由の身になれるはずだった。だが、運命は彼女にさらなる試練を与えた。役人たちはアキを解放しなかったのである。
「仲間の宗徒たちの名と、隠れ家の所在を言え」
 アキは、役人から問い糾された。だが彼女は、それに答えることはできなかった。アキは切支丹宗徒を偽装していたに過ぎず、真の切支丹の者たちについて知る由もなかった。彼女は自分は何も知らないと訴えたが、役人たちが信じるはずもなかった。

 再び拷問蔵に送られたアキは、これまでとは異なる拷問に掛けられた。石抱き責めである。石抱きとは、三角柱の木材を横に並べた十露盤板という台座の上に正座させる拷問であった。
 アキは後手に縛られ、拷問蔵の土間に置かれた十露盤板の上に座るよう強いられた。木材の突起が脛に当たり、アキは苦痛に呻いた。
 下男が二人がかりで板状の重石を運んできて、アキの太腿の上に乗せた。
 脛に十露盤板の突起が食い込み、激しい痛みが走った。アキが白状しないとみるや、二枚目、そして三枚目の重石が積み上げられた。アキの華奢な足は、合わせて三〇貫(一〇〇㎏)の重石に押し潰され、尋常ではない痛みに襲われた。
 たちまち全身から汗が噴き出してきた。アキは浅く息をつきながら、石抱き責めの痛みを全身で味わっていた。新たな拷問に掛けられ、体だけではなく心も熱く燃え盛っていた。
 下男たちが重石に手を掛け、揺り動かした。脚の骨をゴリゴリと削られるような激痛が走り、アキは声の限りに絶叫していた。
 しかしアキは、この拷問の苦痛にも奇妙な悦びを見出していた。彼女は自らの浅ましさに戸惑いながらも、石抱きの痛みに陶酔していた。
 三枚の重石を抱かされても白状しないアキは、さらに笞で打ち叩かれた。アキは、汗と涙を撒き散らしてもがき苦しんだ。
 どれほど厳しく糾問されても、アキはそれに答えることはできず、ただ苦痛に耐えるしかなかった。やがてアキは、血の混じった泡を噴いて悶絶した。

 その後アキは、木馬責めや石抱きのみならず、様々な拷問に掛けられた。切支丹の仲間の名と隠れ家を問われて、厳しく責め立てられた。白状して拷問から逃れる術のないアキは、何度も死を覚悟した。
 アキは日に日に衰弱していった。痛めつけられた下肢は動かすこともままならず、もはや身を起こすことさえ困難な有り様だった。
「罰が当たったんだ」
 アキはそう思い至った。己の邪な欲望がこの事態を招いたのだ。デウスの神か、お釈迦様かは知らないが、アキの悪行はお見通しだったのだ。
 だが、後悔はなかった。元より責め殺される覚悟はできている。それも一興と、アキは苛酷な運命を受け入れることにした。

 しかし、神ならぬ人間にも、アキの芝居に気付いた者がいたのである。
 ――いくら責めてもアキが口を割らないのは、宗徒の名も隠れ家も本当に知らないからだ。何故か。それは、アキが切支丹宗徒ではないからだ――そう推理した役人がいた。確かに、アキの振る舞いには切支丹宗徒として不自然な点もあった。だが、何故彼女が切支丹宗徒を装っていたのか、何故そんな真似をする必要があるのか、それが分からなかったのだ。役人は、本人に問い糾すことにした。
「おまえは、真の切支丹ではないな? なにゆえ、宗徒を装っているのだ?」
 アキは役人の指摘に驚いた。図星を指されたアキは、観念して有り体に白状した。
「はい、私は切支丹ではありません」
「なにゆえ、そのような嘘をついたのかと聞いておる」
「それは……拷問を受けるため、です」
 アキは消え入りそうな声で、恥ずかしい想いを吐露した。
 役人はアキの告白を聞き、驚きを隠せなかった。苛酷な拷問に掛けられたいが為に切支丹を装っていたなどという言い草は、まったく理解できないものだった。ただ、この娘はお上を謀る不届き者だということは明白だった。役人は激怒した。
「たわけ者! よかろう。お前の望み通り、たっぷりいたぶってやる!」
 その日アキは、駿河問いの拷問に掛けられた。両手首両足首を背中で括り合わされ、逆海老の体勢で吊り上げられた。さらに、背中に重石を乗せられ、体をブン回され、笞で叩かれた。この駿河問いは、アキがこれまでに経験した拷問の中で最も苛烈なものだった。体中の関節が悲鳴を上げ、頭が割れるように痛んだ。目、口、鼻から噴き出した血と、汗と涙が、アキの体から飛び散った。
 意識を失う時、アキは、もう二度と目覚めることはないだろうと思った。不思議と安寧な気分で、後悔はなかった。吊られたままぐったりと動かなくなったアキの股間からは、愛液混じりの尿が滴り落ちていた。

 アキは夢を見た。己の所業を知った母親が、ひどく悲しんでいる夢だった。母親は、偽切支丹を演じてお上を謀ったアキのことを強く咎めた。「お前をそんな風に育てた覚えはないよ」と。アキは黙ってうなだれていた。やがてアキは、地獄へと赴くため母親と別れた。
 地獄とは、一体どのような場所であろうか? 自分はどんな罰を受けることになるのだろうか? アキは邪な夢想に浸りながら、己の救い難い悪癖に気付き、自嘲した。
 ――だがアキは一命を取り止めたのである。そして、それきり拷問がおこなわれることはなかった。
「この娘は気が狂っておるのだ。乱心者を責め立てても仕方あるまい」
 それが宗門奉行の裁定だった。
 アキは、切支丹宗徒を装い公儀を謀った罪に問われた。彼女が切支丹を詐称した理由については、乱心とされた。乱心者は罪に問われない。かわりに、親元などに預けられ、座敷牢に閉じ込められるのが常であった。
 身寄りの無いアキには、永牢の裁きが申し渡された。

 半年後。
 町の賑わいも届かぬ牢獄で、アキは壁にもたれかかり、微睡んでいた。
 あの苛烈な拷問の日々を、アキは今なお鮮やかに思い出す。役人の怒声、股間に食い込む木馬の鋭い背、肌を打つ竹笞、太股に積み上げられる重石。苦痛は、昏い欲望を燃え上がらせ、魂を震わせた。平凡な町娘の暮らしでは決して味わえない、心の深淵に触れる悦びをアキは手に入れたのだ。
 だがその代償として、アキの人生は十八の若さで閉ざされてしまった。彼女は死ぬまでここから出られることはないだろう。そして、あの世に行っても、母に合わせる顔がない。
 アキは自嘲の笑みを浮かべた。「乱心者」と宗門奉行は彼女を評した。確かに、拷問の苦痛を求めてお上を謀り、命掛けの芝居を打つなど、まともな娘の所業ではない。
 だがアキは、己の度し難い悪癖を悔いてはいなかった。あの拷問蔵で味わった夢のような体験は、人生を賭すだけの価値があったのだ。甘美な記憶を反芻しつつ、彼女は残りの生涯を過ごすのだ。
 牢の外に人の気配があった。牢番が飯を運んできたのだろう。アキは気怠げに体を起こし、ゆっくりと目を開けた。彼女の瞳には、人生を諦観した穏やかな光が宿っていた。


(c) 2025 信乃


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