江戸時代の牢獄、伝馬町牢屋敷は、今の東京都中央区日本橋小伝馬町にあった。
地下鉄日比谷線・小伝馬町駅を降りてすぐの一角である。
現在の地図に、牢屋敷の平面図を重ね合わせてみよう。
牢屋敷の表門は、中央区の多目的施設「十思スクエア」正面玄関の付近。
この門前では、敲き刑もおこなわれた。
なお、十思スクエアの入口ホールには、牢屋敷の模型が展示されている。
女牢から連れ出された女囚が、穿鑿所や拷問蔵に引き立てられてゆく経路を想像するだけで身震いしてしまう。
穿鑿所の白州があったのは、この道路の辺り。
ここでは、笞打ち・石抱きの牢問がおこなわれた。
拷問蔵は、十思スクエアの中庭、空調機器の辺りにあったと思われる。
ここでは、海老責め・釣責めの拷問がおこなわれた。
女牢として使われた西口揚屋があったのは、十思公園の入口門の辺りだろうか。
旗本以上の武士や僧侶が入牢した揚座敷、そして百姓牢があった一角は、今は十思公園になっている。
公園の片隅には、吉田松陰先生終焉之地の碑がある。
牢屋敷跡から発掘された石垣を見ることができた。
この建物「十思スクエア別館」の二階には、銭湯「十思湯」がある。かつて牢屋敷があった場所で風呂に入るというのも一興かと。
処刑場の跡地には「大安楽寺」が建てられ、刑死者の慰霊のため「延命地蔵尊」が祀られている。