移し身



 薫は幼い頃から、江戸期の拷問に興味を抱いていた。
 そのきっかけは三つあったように思う。小学生の頃に見た歴史の資料、テレビの時代劇、そして兄から借りて読んだ忍者マンガである。
 古びた学習漫画に描かれていた、百姓親子の水牢と木馬責め。百科事典で見つけた石抱きと吊り責めのカット。時代劇で見た百叩きや拷問のシーン。味方の忍者が捕らわれて厳しい尋問を受けるマンガ。……それらに受けた強烈な印象が、後の薫の嗜好に大きな影響を与えた。
 罰を受ける罪人、自白を迫られる囚人、敵に捕らわれた忍者……そんな者たちが激しい拷問に耐える姿に、薫は幼心をときめかせていた。
 汗を飛び散らせながら笞打ちの苦痛に耐える娘、歯を食い縛って石抱きの拷問を受ける若侍、後ろ手に縛られ木馬責めを受ける百姓、不敵な態度で拷問に耐え続ける少年忍者。彼ら彼女らにたまらない美しさを感じ、自分の身を重ね合わせてあれこれと想像した。
 隠密同心になりたかった。影の軍団に入りたかった。影丸になりたかった。どうして自分は二十世紀なんかに生まれたのだろうと、悔しくて泣いた。
 そんな夢想癖が、どうやって性的嗜好に結びついたのか、それはわからない。
 ただ、夜な夜な布団の中で、拷問を受ける空想を巡らせていた時期と、自慰を覚えた時期が一致していることは確かだった。
 薫は、拷問されていることを想像しながら自慰をすることに耽った。
 その習慣は、十数年を経た今も続いている。

    *

 薫の「他人に言えぬ空想癖」は、大人になっても衰えたりはしなかった。
 親元を離れて自活するようになった薫は、絶好の機会とばかりに、子供の頃から抱いていた夢の実現を考えるようになった。
 憧れのキャラクターに少しでも近付きたい、同じ体験をしてみたい。子供じみた馬鹿げた趣味という自覚はあったが、誰に迷惑をかけるわけでもないので、薫は思うままにのめり込んでいった。
「ゴッコ遊び」は、衣装を作ることから始まった。
 忍び装束や、浅葱色の囚衣を身に纏い、忍者や女囚になった気分に浸った。
 そして、捕らわれ拷問される空想に耽りながら、自慰をする。
 それは薫にとって、誠に心めく行為であったが、同時に物足りなさも感じていた。憧れの者たちが受けた苦痛を自分も体験してみたい……。そんな想いはつのるばかりであった。
 笞打ち、石抱き、海老責め、吊り責め、木馬責め、駿河問い、水責め。だが、自分一人だけでできるものは限られており、薫はその中から、石抱きと木馬責めを選んだ。
 史実に基づいて、十露盤板や木馬を自作した。
 十露盤板の上に正座し、重りを抱いてみた。
 木馬の背に跨ってみた。
 初めて味わったその苦痛は、薫を夢の世界へと誘った。
 それは、実際に囚人たちが味わった苦痛には到底及ばぬものであろう。だがその体験によって、薫が長年抱いていた願望はようやく充足されたのである。
 ある夜は、任務に失敗して捕らわれた忍者として。またある夜は、無実の罪で牢に入れられた町娘として。同じ衣装を纏い、同じ苦痛を身に受けることによって、薫の意識は空想の世界へ飛んでゆくのであった。

 そして今夜の薫は、切支丹宗徒の娘として、石抱きの拷問に掛けられている。
 浅葱色の囚衣の上から、麻縄で二の腕と上体を縛った。十露盤板に正座し、石の重りをひざの上に乗せた。そして、手首を背中の縄で括った。
 何度も経験を積み考案された、自縛と自虐のための手順である。
 所詮、自らの意志で解き逃れることのできる責めであったが、薫は限界まで耐えることを己の務めとしていた。
 麻縄で厳しく縛られた胸の苦しみ。木材がくい込む臑の痛み。太股に伝わる、重石の冷たさ。数百年前に、哀れな女囚が味わった苦しみの片鱗を、薫は感じていた。
 既に三十分ほどが経っていた。下肢の感覚は薄れていたが、臑の激痛は厳然としている。身体が火照り、囚衣の胸元から熱気が立ちのぼる。
 薫は右肩に首を預け、じっと耐え忍んでいた。
 ……ええい、強情なヤツ、まだ転ばぬか!
 仮想の責め役が叱責する。
 薫は、首を振ってそれに抗おうとした。乱れた髪が、汗に濡れた額や首筋に張り付いた。
 今日は一刻、二時間を耐え抜くと決めていた。
 膝上の重りは二十キロにも満たず、十露盤板も角を緩く削り落としてある。実際におこなわれた拷問に比べれば、あまりに生ぬるいものであったが、二時間を我慢するにはそれなりの覚悟が必要であった。
 ……仲間の名前を言え、言わぬか!
 業を煮やした責め役は、重石を揺さぶるだろう。
 薫はその激痛を受けようと、腰を前後左右に揺り動かした。
「ああッ!」
 臑の痛みが倍加し、堪えきれない呻きが唇から漏れ出た。
 このまま揺さぶり続けたら、短時間で挫折してしまうだろう。
 だが薫は、涙が滲むまで己の肉体をいたぶり続けた。
 これしきの苦しみで音を上げていては、とても女囚の気持ちにはなれないと思った。
 薫の心は、さらに厳しい責め苦を望んでいた。この身に受ける痛みが激しいほど、女囚に同化できるのである。
 ……私は、転ばない、絶対に。どのような拷問を受けようとも、たとえ責め殺されても。
 心に暗示をかける。
「こんな責めで、人の心を変えられるなんて、思わないで、ください」
 薫のつぶやきに、役人は激昂するだろう。
 箒尻を手に取り、薫を打擲するだろう。
 石を抱かされた上で受ける笞打ちは、どれほどの痛みであろうか?
 だが、薫の拷問ゴッコには責め役は実在せず、笞の痛みを味わうことは叶わない。
 ビシッ!
「うあぁ!」
 バシッ!
「く、くぅぅっ……」
 痛みを想像して、悲鳴をあげるのが精々である。
 誰か、今の自分に笞を振るってくれたら、もっと女囚の気持ちを味わえるのに……
 刹那、凄まじい激痛に襲われ、薫は声の限りに叫んでいた。
 間髪おかずに受けた衝撃は、竹笞が背中を叩くものだと悟った。
「あああぁッ!」
 激しい眩暈と共に、あられない悲鳴が喉をついて出た。
「さあ申せ、申さぬか!」
 そして、居る筈のない責め役の姿が、瞳に映じていた。

    *

 そこは、紛れもなく拷問蔵であった。薫の部屋ではない。
 囚衣の上から縄で縛られ、十露盤板の上に正座させられている、その状況は変わらない。
 しかし本物の伊豆石がおそらく四枚、胸が隠れる高さまで積み上げられている。薫の拷問ゴッコの十倍の荷重が、下腿に掛かっていたのだ。
「はぁ、あぁぁぁぁ!」
 死ぬ、と思った。とても耐えられない、と思った。
 薫は、後ろ手の縛めを解こうと力を込めたが、縄は手首にきっちりと巻き付き、抜ける余地など無かった。たまらない恐怖に戦慄を覚えた。
 絶え間なく響きわたる悲声は、自分の声ではないような気がした。
 いったい、何がどうしてしまったのか、考える猶予もなく責めは続いた。
 牢役人であろう、厳めしい顔をした男が、重石の上に足を掛けた。
「ええい、強情なヤツ、まだ転ばぬか!」
 重石が揺さぶられる。
 薫は絶叫していた。喉が絞られるように痛んだが、全身を苛む激痛がそれをかき消した。
 視界が赤くぼやけた。口の端からなにか溢れたが、啜り上げることもできなかった。息をするのもままならなかった。胸が苦しい。
「ひぃ、ああッ!」
 左肩に箒尻が当てられた。
 初めて味わう笞の痛みは、甘美な空想を微塵に砕くほど過酷なものであった。
「うああぁ……」
 汗が飛び散り、鼻や口から血が流れ出した。
 牢役人は怒声を張り上げ、一層激しく石を揺すった。角材と骨が摺り合わされ、ゴリゴリと嫌な音がした。
 想像を絶する苦痛に、薫はただ呻くことしかできなかった。
 これが、拷問なのだ。
 自分が憧れていたのは、所詮拷問ゴッコに過ぎないのだと、薫は悟った。
 意識が遠くなった。

 牢で目覚めた時、全身に痺れと痛みがあった。
 板間に横たえられた身体は、まるで自分のものではないような感覚がある。……確かに、この身体は薫のものではなかった。鏡があればはっきりするだろうが、髪も体型も四肢の細部も、違うものであった。
 自分は転生したのだろうか? この女囚に心が乗り移ったのだろうか?
 夢かもしれないと思った。世間の常識はいざ知らず、夢の中で苦痛を感じるということは、薫にとって珍しいことではなかった。
 徐々に思考が明瞭になってくると共に、未知の記憶が頭の中に沸き上がってきた。
 ……名前はサヨ、歳は数えで十八、未婚。小間物を商う。密告により、切支丹の疑いありとして捕らわれる。
 宗門改めにて踏み絵を拒否した後、切支丹屋敷に送られたのが五日ほど前のこと。棄教と、仲間の名前、隠れ家を問われて拷問を受けている。最初は笞打ち、そして今日の石抱き。
 命を懸けて信仰を貫く覚悟。ましてや、仲間を売れば地獄に堕ちる。自分にできるのは、ただ沈黙を貫き通して、天に召される日を待つこと。この世の未練より、永遠の幸福を……。
 さらに細かなことを思い起こそうとすれば、まるで自分の記憶のように手繰り寄せることができた。
 薫は、身体を動かそうと力を込めてみた。痺れの残る下肢は鉛のように重かった。腕を突っ張り、楽な体勢を探ってみる。どうやらサヨの身体は、薫の意志で操れるようであった。
 声を出してみる。サヨの声音が耳に響いた。
 記憶と身体はサヨ、それに薫の意志が融合したのだろうか、と想像した。
 心が落ち着くと、周囲を観察する余裕が生じた。
 切支丹宗徒を収容する牢といえば、閉所に大勢を詰め込む印象があったが、ここの牢は閑散としている。一畳敷ほどの房に、独り寝かされていた。
 季節は秋。紛れ込んだ枯れ葉が、すきま風に揺れていた。
 薫は、沸き出るサヨの記憶を噛みしめながら、サヨとしてどうあるべきか、ゆるりと考えることにした。
 遠からずこの身に受けるであろう拷問を想像すると、たまらない恍惚と不安に襲われ夜も眠れなかった。
 女囚として、決して逃れることのできない苦痛、それもズル無しの容赦ない責めを受ける。物心つかぬ頃から望んできた『夢』が、不可思議な運命によって叶えられようとしている。
 だがそんな拷問に、果たして耐えられるだろうか、と心が揺れた。先に味わった、本当の石抱き責めを思い起こすと、身が震えた。それはほんの短い時間であったが、人として耐えられる限度を遙かに越えていた。もう一度同じ責めに遭った時、どんな心持ちで臨めばよいのか、見当もつかなかった。
 精々、今から体力を蓄え、薫としての気力を奮い起こす程度であろうか……。
 薄く冷たい布団の下で、激しく痛めつけられた向こう臑、肩や背中の笞跡、そして麻縄の感触が残る胸を愛おしむように愛撫した。さらに股間に手を入れ、陰部をまさぐってみた。全身に残る疼痛を種に、石抱きを想像しながら、指を動かした。
 神に心を捧げた者の体でなんとも罪深い気がしたが、今夜だけは見逃して欲しいと薫は思った。

    *

 やがて再び吟味の日がきた。
 牢から出され、はじめに形ばかりの詮議がおこなわれた。役人の恫喝に震えながら首を横に振ると、直ちに拷問蔵へと引き立てられた。
 それはまさに、夢にまでみた光景であった。
 壁に掛けられた縄や鎖、箒尻などの笞、様々な重石、十露盤板、大きな水桶、そして木馬。梁からは滑車が釣り下がり、柱や壁には鉄の輪が取り付けられていた。
 今日はどのような責めを受けるのであろうか。
 薫の意識は、木馬に吸い寄せられていた。それは、陰部を責め立てる過酷な拷問に用いられるものである。薫の趣味の原点として、もっとも憧れてきた拷問であった。
 ……どうか、私を木馬責めに掛けてください。
 だが、薫の願いは通じることなく、切支丹同心が指し示したのは十露盤板と重石であった。
 玉砂利を敷いた地面に跪かされ、麻縄を上体に掛けられる。自縛では到底味わうことのできない厳しい緊縛に恍惚となった。背中で括られた両手首は自らの意志で解くことが叶わず、胸や二の腕に食い込む縄の感触は身体を熱くした。
 そして囚衣の裾を捲られ、十露盤板の上に正座を強いられた。
 史実によれば、背後にある『泣き柱』に背を結びつけられる筈であったが、この牢ではそれは見あたらなかった。
 十露盤板は、三角の木材が三寸五分の間隔で五本。薫がゴッコ遊びで使用しているものと同じ寸法である。
 座り方によって苦痛の度合いが異なることを、薫は知っていた。少なくとも、未だ癒えていない前回の傷跡は避けなければならない。だがサヨの足はあまりに華奢で、少しばかり工夫を凝らしたところでどうなるものでもなかった。
 臑の痛みは、薫にとって既知の範囲である。耐えられぬほどのものではない。
 役人が今一度改宗を促したが、無言でそれを拒んだ。
「二枚抱かせろ」
 投げやりな口調で言い放つと、下男たちがうっそりと動き出した。
 十三貫の重石が目前に迫り、膝の上に抱かされる。
「ううッ! ぐぅぅ」
 今まで薫が体験してきた石抱きゴッコとは、まるで比較にならない苦痛であった。
 たった一枚積まれただけで、音を上げそうになる。
 だが、二人の下男は二枚目の石を用意していた。乾いた音をたてて、石が重ねられた。
「ああッ! ああぁ……」
 およそ百キログラムの重量が下腿を責め立てている。臑を切り裂く激痛と、太股と膝に加わる強烈な圧迫感に、悲鳴を堪えることができなかった。
 臑の痛みはやがて慣れる。痺れとともに、下半身全体に苦痛が広がってゆく。それは薫が経験から得た知識だった。
 今辛抱すれば、じきに幾分楽になる。だが現実は、そんな気休めで耐えられるような責め苦ではなかった。
「はあぁッ、うぅぅぅ……」
 芝居や演技ではない。本当の苦痛の呻きが、喉から吐き出される。
 無駄と知りつつも、縛られた腕に力を込めてみる。麻縄は痛いほど手首に食い込んでおり、二の腕も固定されているため、自由になるのは指先だけであった。それでも、手首に神経を集中させると、ほんの僅かながら苦痛が和らぐような気がした。
 ……これが、逃れられない苦痛、本当の拷問。
 息があがる。身体が熱い。
 全身から苦痛の汗が噴き出し、浅葱色の囚衣をじっとりと湿らした。
 たとえ責め殺されても屈しない覚悟が、サヨにはあった。なれば、身体を預かった薫は、この拷問を耐え抜く義務があるだろう。
「どうだ、まだ転ぶ気にはならないか」
 役人の詰問はおざなりで、真摯なものではなかった。この程度の責めで切支丹が改宗するとは、思っていないのだろう。それは、拷問はまだ序の口であることを暗に示していた。
 切支丹組同心ははたと膝を打ち、飄然とした態度で残酷にのたまった。
「半刻ほどで戻る。あまり手荒にするなよ」
 二人の下男を残して、初老の役人は拷問蔵を出ていった。
 今の一瞬を耐えるのが精一杯な囚人に対し、責め手はあくまで持久戦の構えであった。責め手の思惑にはまり、薫は絶望的な心持ちになった。
 役人の気配が消えてしばらくした後、下男たちが企みの会話を始めた。
「手荒でなければいいのだろう? 精々可愛がってやるとするか」
「この世の極楽を教えてやろう。天に昇らせてやるよ」
 男の手が、囚衣の襟を掴み胸元を開いた。
「うぐッ! な、なにを……」
 身体を揺すられ、耐え切れぬ激痛が臑を苛む。
 やがて、胸を横切る縄の間から、乳房が剥き出しにされた。
「あっ、ああぁ」
 背後から両胸を掌で掴まれ、細い肩に唇が触れる。苦痛とは異なる不快感に、身を震わせた。
 男の手は緩慢に乳房を揉みしだき、胸の突起を指でつままれる。耳元に息遣いが感じられる。乳首をねじるような指の動きに、サヨの身体は熱く火照った。
 苦痛に耐えるよりも、快楽を堪えるほうが難しい。
 たまらずに嬌声をあげて、かぶりを振った。束ね髪が舞い、濡れた首筋に張り付く。
「苦しむ時も悦ぶ時も、同じ顔をするのだな、女は」
 男は執拗に乳首をなぶり続けた。
 厳しく縄で縛められ、重石を抱かされた身体では、抵抗のしようもない。
 下腿の疼痛と胸の快感が綯い交ぜになり、意識が濁るのを感じた。
 爪の先で潰すように乳首をつねられ、思わず悲声をあげる。
 いま一人の下男が弓折を手に取り、サヨの脇に現れた。
 掌の感触が離れるのを感じた次の瞬間、細い竹笞が乳房を襲った。
「ひいぃッ!」
 間をおかずに打ち下ろされた笞が、胸の突起を弾いた。痕も残らぬほど弱い打擲とはいえ、サヨを悶絶されるには十分であった。
 柔肌を叩く笞の音は、容赦なく高まってゆく。汗に濡れた乳房は紅く腫れ上がり、サヨは苦痛の呻きを漏らし続けていた。
 笞の痛みに身体をよじると、臑に激痛が走った。高い啼き声をあげ、涙をこぼした。
 やがて男は笞打つ手を休め、弓折の先でサヨの身体をなぶり始めた。唇から顎先、首筋をゆっくりと這い降り、胸の笞跡に触れた。縄によって絞り出された乳房を、焦らすように弄ぶ。笞先が乳首に触れるたびに、サヨは小さく喘いだ。
 再び、笞が当てられる。胸の先端を狙って執拗に振り下ろされる笞に、サヨの身体と薫の意識が翻弄される。
 厳しい拷問を受けながらも、身体は苦痛ではないものを感じている。苦痛を快楽に換える術を知っていれば、責め苦に耐えることもできるかもしれない、と思った。
 皮肉なことに、それは下男たちの陵辱によって気づかされたのだ。

「どうだ、考えは変わったか」
 ようやく役人が戻ってきた。半刻あまりが過ぎただろうか。
 幾たびかの苦痛の波をサヨは乗り越えてきた。女囚の気分を嫌というほど味わってきたものの、本当の拷問はこれからと悟り、改めて唇を噛み締めた。
 同心は、下男たちがおこなった仕置きの跡を一瞥し、鼻を鳴らした。
「手ぬるいな、少し揺さぶってやるがよい」
 控えていた二人が腰をあげるのを見て、サヨは恐怖に身を震わせた。
 下男たちは二枚の重石を両脇から掴むと、前後に左右に揺すり始めた。
「ぎゃッ! ああああぁぁ!」
 痛みが何十倍にも増したような気がした。サヨの絶叫が牢内に響きわたる。
 目が眩み意識が薄れかけた頃、ようやく役人は制止の声をあげた。
 だがそれは、更に厳しい責めを与える為であった。
「あと二枚、積んでやれ」
「ひッ、い、いやぁぁぁ……」
「なら転ぶか」
 サヨはかすれた喘ぎ声をあげながら、首を振った。
 そして無情に、三枚目、四枚目の石が積み重ねられる。
「うっ、うおっ、く……」
 途端に息が苦しくなった。
 倍加した圧迫感に、命を削られる思いであった。
 泣き叫ぼうにも、声をあげることすらできない。
 足が痛い。頭が痛い。胸が苦しい。
 サヨの顔は涙と汗と涎にまみれ、半開きの口から力無い呻きを漏らしていた。顔を震わせると、飛び散った汗粒が重石の上に点々と跡をつくった。
 ふと、剥き出しにされた胸の先端が、顎の高さまで積まれた石に触れた。
「あ、はあッ……」
 ひどく刺激的な感覚に惑わされる。
 サヨは自ら身体を蠢かし、乳首をざらついた伊豆石に擦り付けた。
 最初は、役人たちに勘ぐられぬよう気遣っていたが、やがて堪え切れずに、快感を求める行為に耽った。
 同心がそれに気づき、膝を叩いて立ち上がった。
「なんて娘だ、切支丹が聞いて呆れる」
 立てかけられた箒尻を手に取り、サヨの背後に廻った。
 肩に振り下ろされた笞に、サヨはあられない悲鳴をあげた。
「ああぁッ!」
 背中を、肩を、二の腕を、容赦なく打ち据えられた。
 続けざまに襲い来る笞打ちの激痛に、胸の快楽はたちまち消し飛んでしまった。
 ……私は、拷問に欲情した罰を受けているのだ。薫はそう思った。
 このまま責め殺されるのも一興だろう。
 実際、死に至るほどの責めを受けているのだ。
 叫び声も途切れ途切れになり、やがてサヨはがっくりとうなだれた。頬にあたる石の冷たさを感じたのを最後に、意識を手放した。

 水のしぶく音が聞こえたような気がした。
 ついで、濡れた肌の感触に正気づかされる。
 熱く痛む笞跡に、冷水が心地よかった。
 サヨの身体は十露盤板の上から降ろされ、玉砂利の上に横たえられていた。後ろ手の拘束や、上体に掛けられた縄は解かれていない。
 重石で痛めつけられた下肢には酷い痺れがあり、自分の身体とは思えなかった。
 囚人の意識が戻ったことを見取った下男が、サヨの足をゆるりと蹴飛ばした。
「いッ、や、あッ、あぁぁぁッ!」
 鬱血状態の足に血流が戻ってゆく時には、凄まじい激痛がある。下男二人は、サヨの反応を見ながら、足を揺さぶり続けた。
 それはまさに、重石を抱かされるに匹敵する痛みであった。徐々に感覚が戻り、じんじんと痺れる苦しみに、サヨは高い啼き声をあげた。
 石抱きの責めは、重石を除けられ十露盤板から降ろされた後も、苦痛が続くのである。
 膝から足首にかけて、角材の跡が等間隔で刻まれていた。無惨な傷跡には血が滲み、周囲は蒼色に腫れ上がっている。
 やがて呻きがおさまった頃、サヨは引きずり起こされ、再び十露盤板の上へと座らされた。
 もう、耐えられないと薫は思った。
 先刻までに受けた痛手はまるで回復していない。全身に疼痛を抱えたまま、再び石を抱かされては、とても我慢することなどできないだろう。
 気を失えば楽になれるなどという言葉は、気絶するほどの痛みがどれだけのものか体験したことのない者の戯れ言だと思う。
「先刻は四枚だったか。もっと石を増やしてやるか」
 役人の無情な呟きに、下男たちが動きだした。
「どうだ、転ぶなら今のうちだと思うぞ。二度と歩けなくなってもよいのか?」
「ゼウスさまのもとへ参るのに、足など要りません」
 薫は、サヨの思いを口にした。
 役人は深いため息をつき、下男にぞんざいな指示を下した。
 再び、膝の上に重石が乗せられる。
 噛み締めた歯の隙間から、呻きが漏れ出た。
 二枚目、三枚目と積み上げられ、早々に限界を感じた。
 ……もう、イヤ。楽になりたい。
「おやめください」
 そう口をつく寸前に、目に入ったものがあった。
 視界の隅にある、木馬である。
 それは、薫が持つ模造品と同様の形状をしていたが、あからさまに風格が違った。あまたの囚人の悲鳴を搾り取り、汗と血を流させた責め具は、異様なオーラを漂わせていた。
 ……私も、あの木馬の上で、苦しみ悶えてみたいと、薫は思った。
 いま屈してしまっては、木馬責めに掛けられる機会は失われてしまうだろう。
 木馬に跨らされるその日まで、どんな拷問にも耐え抜くのだ……。
 その決意が心の支えになった。
 四枚目、五枚目と重石が重ねられた。
「ぐ、うぅぅぅ……」
 薫は、木馬に意識を集中させることによって、正気を保とうとした。
 幾たびも襲い来る迷いを振り払い、ただ、己の不埒な願望のためだけに、過酷な拷問を耐え忍んでいるのだ。
 今日の石抱き責めを耐え抜けば、次はあの木馬で責められるかもしれない。
 だから、今は……。
 突如、身体が四散するほどの衝撃が襲った。
 サヨは頚をのけぞらせ、とうに枯れ果てたはずの悲鳴をあげた。
 二人の下男が重石に手を掛け、揺さぶっているのだ。
 二五〇キロもの重石が、膝の上でゆるりと揺れている。
 下腿の骨を削り、砕くほどの痛みに、サヨは啼いた。
「うおッ! ぐぅッ、うぁ……」
 悲鳴はやがて、くぐもった呻きに変わった。
 鼻から血が流れた。
 腹からこみ上げたものが口から漏れ出た。
 息ができなくなり、目の前が紅色に染まり、そして……

    *

 四日の後、再び吟味がおこなわれた。
 石抱きで痛めつけられた足を引きずり、よたよたと拷問蔵へ引かれながら、今日こそは木馬責めに掛けられることを期待した。
 だが、そんな薫の望みは、またしても裏切られることになった。
 サヨは床にうつぶせにされ、両手両足首を背中で一つに括られた。駿河問いに掛けられるのだと、覚悟した。
 梁から降ろされた縄で、逆海老に反った身体が吊り上げられる。
「つ、うっ……」
 手首に縄が食い込み、抜けるように痛んだ。肩や腰にも無理な力が加わり、サヨは呻き声をあげた。
 だがこの責めは、こんなものでは終わらないことを薫は知っている。
 案の定、下男によって背中に重石が載せられる。石抱きで使われる石の半分程度とはいえ、その効果は凄まじいものがあった。
「がッ、ああッ!」
 肩が抜け、背骨が折れるほどの痛みに啼いた。
 この上さらに、縄を捩り身体を回されたら、死ぬかも知れないと思った。
 だが役人は指示を下さず、下男たちも控えの場へ戻っていった。
 じっくりと、時間を掛けて責めるつもりなのだろう。
 四肢がもぎ取られるような苦痛に、眩暈がする。
 無理に反らされた身体では、息をすることも辛かった。
 ゆるりと揺れる視界の片隅では、役人が退屈そうに佇んでいた。強情な切支丹が相手では、責めに力を入れても無駄と悟っているような、泰然とした態度である。
 労力を費やすことなく、持久戦で相手を消耗させ、しかし決して死に至らしめることなく、万が一転宗させることができれば儲けもの。そんなことを考えているのだろうか。
 状況に変化があらわれたのは、四半刻ほどが過ぎた頃合いであった。
 拷問蔵を訪れた同僚に何やら耳打ちされた役人は、ようやく腰を上げ、短く言い放った。
「回してやれ」
 下男たちがサヨの身体に手を掛け、吊り縄を中心に回しはじめた。
 五回し、十回し、二十回し。
 サヨを吊るす縄がよじれ、身体の位置も徐々に高くなり、やがて縄の限界まで捻られると下男たちが手を止めた。
「この責めは辛いぞ。お前のように強情な者も、幾人となく転んだ。今改宗すれば、苦しまずに済むのだがな」
 サヨは恐怖のあまり、唇を震わしていた。下男たちに身体を揺らされるだけで、たとえようのもない痛みを受けているのだ。縄の捩りが戻る際の激しい回転にさらされたら、自分の身体は一体どうなってしまうのだろう。
 下男の手が離れた瞬間、サヨは死が目前に迫ったような絶望的な表情を浮かべた。
 両手両足首、そして背中の重石を中心に、身体が回りはじめる。
 視界が部屋をぐるりと一周し、その速度が徐々に増してゆく。
「ぐ、あ……ぁ……ぁ」
 悲鳴をあげることさえ許されなかった。
 髪が振り乱され、汗と涙と涎が飛び散った。
 頭が割れるように痛み、視界が暗転した。
 手足が抜けるほど痛む。息が苦しい。
 ようやく回転がゆるやかになり、やがて静止した。
 そして今度は、逆向きに回りはじめる。
 右に回り、左に回り……
 縄の捻じれが無くなるまで、地獄の責め苦が続いた。

 水を掛けられ、正気付かされた。
 サヨは意識が戻ると同時に、筆舌に尽くしがたい苦しみに襲われた。
「お、おねが、い……も、もう……」
「転ぶか?」
「う、うぅぅ……」
 木馬責めを受ける日までどんな拷問にも耐え抜くなどという決意は、もろくも潰えていた。今はただ、この苦しみから逃れたかった。
 だがサヨは、それ以上言葉を発することも、首を振ることもできなかった。
 鼻や口から血の色をした泡を吹き、再び悶絶した。

    *

 駿河問いの後遺症は、幾日も続いた。
 翌日、翌々日は身体を動かすこともままならず、食事は喉を通らなかった。
 関節や筋肉に残る疼痛に加え、耐えられないほどの眩暈感や頭痛があった。
 しかし薫は、過酷な拷問を耐え抜いた己の意志と、傷だらけになったサヨの身体が、たまらなく愛おしかった。
 このまま責めに屈することなく、哀れな女囚として死んでゆく自分を想像すると、不思議と甘美な心持ちになる。
 薫に思い残すことがあるとすれば、子供の頃から憧れてきた拷問、木馬責めを受けてみたいという願いだけである。小説や劇画の中で過酷な木馬責めに耐えていた、あの女囚たちのように、木馬の上で苦しみ悶えたい。もし願いが叶うならば、そのまま責め殺されても構わないとさえ思った。
 前の拷問から五日が過ぎ、十日が過ぎ、ようやく痛みも薄れてきた折、ようやく呼び出しを掛けられた。
 北風が吹き荒ぶ日の、夕刻のことであった。

 拷問蔵の中央には、蝋燭の灯りに照らされた木馬があった。
 待ちこがれていた日が、ついにやってきたのだ。胸の奥で、鼓動が高まるのを感じていた。この日のために、過酷な拷問を耐え抜いてきたのだ。
 サヨは木馬の前に正座させられ、囚衣の上から高手小手に縄を掛けられた。
 目の前に鎮座する木馬を上目遣いで注視した。何十人、何百人がこの木馬に跨らされたのだろうか。汗や小水や血が染み込んだ側面は、不気味な模様となっていた。
 木馬の背の部分は、いうまでもなく鋭く尖っている。鋭角な木材に跨る苦痛は、想像の域を越えており、体験した者でなければわからない。
 薫は、実際に木馬責めを疑似体験したことがある。木馬の背にタオルを敷き、足に重りを付けない「ぬるい」状態であったが、二十分を耐えるのが精一杯であった。しかし今日は、自分の意志で逃れることのできない、本当の拷問に掛けられるのだ。
 責め手は、改宗させる為に手段を選ばぬだろう。足に重りを吊り下げられ、木馬を揺さぶられ、笞で打ち叩かれ、さらには縄で吊り上げられて木馬の上に落とされる……そんな激しい責めを想像すると、どうしようもなく身が震えた。
「サヨ、この責め具がわかるか。おまえが考えを変えぬのであれば、この木馬に跨ってもらうことになる。おなごの身には、いささか辛い責めであろう」
「……覚悟しております」
 毅然としたサヨの態度に、初老の切支丹同心は鼻をならした。
「後で悔いることになろう」
 二人の下男が左右から足を掴み、身体を持ち上げた。抗う術もなくサヨの身体は木馬の上へ運ばれ、鋭角に尖った背へと下ろされた。
「うっ、つぅ……」
 梁から吊り下がった縄が背中に結ばれ、ぴんと張られた状態で固定された。木馬からの転落を防ぐ為である。
 囚衣の裾が、木馬の背と股の間に挟まっているのを見つけた下男が、乱暴に裾を直した。
「あッ、ああっ!」
 鋭く尖った木馬の頂が、股間の柔肉に直接食い込んだ。
 痛みは激しかったが、未だ泣き叫ぶほどではない。
 足首に縄が掛けられた。一抱えもある重石が用意され、左右の足首を繋ぐ縄に吊り下げられた。
「んああッ! ぐうッ! つぅ……」
 苦痛に顔が歪んだ。
 無駄と知りながらも、手首の縛めを解こうと力を込めた。上体は麻縄で厳しく縛り固められており、僅かな緩みも無かった。そして、身じろぎする度に、股間に激しい痛みが生じた。
「どうだ、木馬の乗り心地は、さぞ辛かろう? おまえが改宗するまで降ろしてやらぬゆえ、存分に苦痛を味わうがよい」
 役人が腰を降ろし、責める者と耐える者の根比べが始まった。
 身体が火照り、汗が噴き出してくる。囚衣の胸元から湯気が立ち上り、顔を熱くした。
額から伝い落ちた汗粒が、眼にしみた。
 呻き声を上げたり、首を傾けるだけで、股間の痛みが増した。
 ただひたすら、じっとしているしかないのだ。
(私は今、女囚として木馬責めに掛けられている)
 薫の一生の夢が、現実のものになった。

 そして、半刻が経とうとしていた。
 身体は燃えるように熱く、全身から吹き出した脂汗によって、浅葱色の囚衣はそぼ濡れていた。
 途絶えることのない苦痛に長時間晒され、身体も心も著しく消耗している。
「はぁ……はッ……ううッ!」
 苦しげな呻き声が漏れ出る頻度も増していた。
 サヨは唯一動かせる頭を弱々しく振り、苦痛を紛らせていた。首筋や額に、濡れた髪が張り付き絡まった。
 ふと、役人と目が合った。初老の切支丹同心は、腕を組み、三白眼でサヨをじっと見上げている。サヨは視線を逸らさずに役人を見据えた。睥睨したり、哀願するわけではない。ただ無表情に、力無く見下ろした。
 その態度が気に障ったのだろうか。
「おい、笞っ!」
 役人が声を上げた。
 下男の一人が箒尻を手に取り、ブンと空振りした。
 ヒッと息を呑んだ次の瞬間、背中を激しく叩かれた。
「くうッ!」
 立て続けに二発、三発と打ち据えられる。
 囚衣の上からとはいえ、笞の痛みは強烈であった。
「あんッ! がぁッ、ぁぁぁ……」
 箒尻に打擲されて叫び、股間の痛みに啼いた。
 下男は容赦なく、尻や太股にも笞を当てた。
 笞打ちの衝撃が股間に伝わり、激しい痛みに責め立てられる。痛みに身をよじると、さらなる苦痛に襲われた。悪辣な責めに翻弄され、サヨは泣き叫んだ。
 無慈悲な苦痛を、じっと耐え続けるしかない。
 足首に吊された重石が揺れた。股間の柔肉が擦り切れ、血が滲んだ。
(私も、責め絵の中の女囚のように、木馬の上で笞打たれているんだ)
 激しい痛みに揉まれながらも、甘美な感傷に浸っていた。
 笞が肌を打つ音は、容赦なく高まってゆく。肩に、二の腕に、そして胸にも笞が当てられた。
 木馬の上で苦痛に身をよじり、泣き叫び、やがて視界が暗転した。

 水を掛けられ、サヨは意識を取り戻した。
 ぐっしょりと濡れた囚衣を纏った身体は、未だ木馬の上にある。
 激しく笞打たれた上体は熱く疼き、腰から下は痺れて感覚がなくなっていた。
 そして股間の激痛は、今やじっとしていても耐えられぬほどであった。
 今日の役人はいつになく真摯であった。今までのなおざりな態度とは明らかに違う。
 宣告された通り、改宗するか死ぬまで、木馬から降ろされることは無いかもしれない。
 これ以上の責めに、果たして耐えられるだろうか。そんな不安が、初めて頭をよぎった。
「はぁ……あっ、あぁ……」
 薄目を開け、頭を右肩に預けて、小さく喘いだ。
 もう少しだけ、木馬責めの苦痛を味わおうと、薫は思った。
 涙が筋になって、顎先から滴り落ちた。
 苦痛のためではない。己の哀れな境遇に泣いているのだ。
 やがて、太股が痙攣を起こした。
 縄で厳しく縛り固められた上で笞打たれた上体も、悲鳴をあげるほど苦しかった。
 もう限界だと思った。
 木馬の上で悶え苦しみ、気を失うまで厳しく責められるという、薫の一生の望みは既に叶えられたのだ。もはや思い残すことは無く、これ以上拷問に耐える理由も無い。
 そう考えると、責め苦に耐える気力が一気にしぼんでゆく気がした。
 最後まで耐え抜くことはできなかったものの、ここまで我慢することができた自分を愛おしく思う。
 あとは改宗する旨を告げれば良いのだ。
 過酷な拷問に、ついに屈してしまった、哀れな女囚を演じるのである。
(も、申し上げます……)
 だが、薫の思念は、声にならなかった。意志の通りに唇が動かない。
『屈することは許さぬ』
 その時、頭の中に響く声があった。
『拷問に掛けられたいと望んだのは、そなたではないか。不埒者め、地獄の苦しみをとくと味わうがよい』
(……!)
 声の主は誰か、これが神罰というものか、そんな疑念を抱いたのも一瞬のこと。たちまち激しい痛みに掻き消されてしまった。
「ああーッ! うあああぁ……」
 木馬を激しく揺さぶられたのだ。さらにもう一人の下男が、腰を掴んでぐりぐりと木馬の背に押さえ付けた。
(おやめ、ください……あぁ……お、おろして)
 薫は必死に懇願しようとした。だが、サヨの唇からは、喘ぎ声が漏れ出るばかりであった。
「うッ、うおッ、ぎぃあッっ!」
 上体を大きく右に倒して、木馬から落ち逃れようとした。しかし、足首の重りと身体を上から吊す縄がある限り、逃れることは叶わなかった。
「あああぁぁぁぁ!」
 極めつけの激痛に、獣のような叫びをあげた。
 股間の傷口が広がり、木馬の背に血が滴った。
「転ぶまで揺さぶってやれ」
 役人が非情な指示を下し、下男たちは一層激しく木馬を揺さぶった。
「ひいッ! ぎゃッ、あああぁぁ!」
 やがて息が詰まり、悲鳴も途切れ途切れになった。
(もう、やめて、おろして、なんでも、するから……)
 薄れゆく意識の下、薫はそう望んだ。
 それに応えるように、不思議な呼び掛けが、再び頭に響いた。
『拷問への憧憬を捨てると、誓うがよい。さすれば、その苦痛から開放されよう』
「ぐッ! ううッ、う……」
 一瞬の躊躇いがあった。
 それだけは、できないと思った。
 拷問という甘美な空想は、現実の過酷な責めを体験した今でも、決して捨て去ることはできない。
 だが苦痛は、耐えられる限界をとうに越えているのだ。
 厳しい葛藤に心が揺れた。
『痴れ者が』
 役人が笞を取るのが見えた。
 容赦ない打擲が太股に加えられ、露わになった肌に笞の跡が紅く刻まれた。
「うおッ、うあッ!」
 渾身の力を込めた笞が、肩に、背中に打ち下ろされる。
 下男たちは、さらに激しく木馬を揺さぶった。ギシギシと音を立てて木馬が揺れた。
(女囚を木馬に跨らせ、両足に重石を吊す)
(さらには木馬を揺さぶり、笞で打ち叩いて責める)
(白状するまで、木馬を揺さぶった)
(過酷な木馬責めにも屈することなく、処刑された切支丹宗徒たち)
 子供の頃から抱き続けてきた憧れ。
 女囚として、激しい拷問を受けてみたいという空想。

 意識が身体を離れてゆくのを感じた。
 身体の感覚が遮断され、果てしない苦痛もすうっと引いてゆく。
(私は、立派な女囚になれたのだろうか?)
 薫は最後に、そう自問した。

    *

 木目の天井が目に入った。
 黒く煤けた牢のものではない。薫は、自分の部屋で目覚めたことを、ぼんやりと認識していた。
 藁筵の上に仰向けに横たえられている。ぐっしょりと囚衣に染み込んだ汗は冷たく、火照った身体を冷やしていた。
 身体を動かそうとして、激痛が走った。
 全身の骨が軋み、肉が悲鳴をあげている。下半身は股間を中心に痺れがあり、動かすこともできなかった。
 サヨとして受けた数々の拷問の記憶がよみがえってくる。
 ……笞打ち、石抱き、駿河問い、そして木馬責め。
 薫は腕をゆっくりと動かして、苦痛の源に掌を当ててみた。
 全身の青痣、股間の出血、縄の跡、臑の傷、そして全身に残る疼痛が、あの体験が単なる夢ではないことを物語っていた。

 サヨは、どうなったのだろうか?
 薫が身体を預かった、江戸時代の娘のことを思った。
 己の信ずるものを貫き通し、天に召されただろうか。それとも、拷問に屈して、第二の人生を歩み始めるのだろうか。
 薫の不埒な妄想については、許してほしい。
 そして、女囚の身を貸し与えてくれたことに、最大限の感謝を。

 しかし、何故自分が江戸時代の切支丹宗徒に身を移したのか。拷問の最中、頭に呼び掛けてきたのは何者なのか。
 自分は、神の不可思議ないたずらに翻弄されたのだろうか?
 だとしたら……。
 もし次の機会があるのならば、その時は忍びの者に転生したいと、薫は思った。


   <終>