くノ一、信乃
火付盗賊改、加役屋敷の拷問蔵である。
厚い塗り壁の土蔵であったが、女の悲声が外にいる者の耳にも届いていた。
加役宅から漏れる悲鳴は、治世上警告的でよろしいとされている。
火付盗賊改に捕わったが最後、拷問で責め殺されるか、自白して処刑されるか。
いずれにせよ門をくぐって無事に出た者はない。
夜の静寂に苦痛の声が響く。責められているのは、まだ若い女であった。
信乃は、天井より吊り下げられた横棒に、両手首を縛められていた。
足には鉄の枷がはめられ、身体が回らぬようになっている。
爪先はかろうじて床に触れているが、体重を支えるには至らない。
脱がされた忍び装束が、腰を纏うだけの裸体であった。
信乃の上肢は、背といわず胸といわず縦横に笞跡が走り、汗と血にまみれている。
笞打ちが中断され、身体に冷水を掛けられた。
「加役屋敷に忍び込むとは、見上げた者よのう。
……女、なにが狙いじゃ、何処の手の者じゃ、吐いてしまえ」
火付盗賊改、横田勘解由であった。
竹刀を信乃の顎に突きつけ、嘲るような口調で詰問した。
信乃は何も聞こえなかったかのように、ただ苦しげに息をするだけであった。
彼女の決意が変わらぬとみると、二人の打役が責めを再開する。
箒尻がうなりをあげて、信乃の肌に叩きつけられた。
背と胸を交互に打たれた。信乃は歯を食いしばって苦痛に耐える。
時折、堪えきれぬ呻きが口から漏れ出た。
やがて打役の一人が怒声をあげて、信乃の乳房に笞を当てた。
「うぐッ!」
急所を打たれ、信乃は息を詰まらせる。
ふッと気が遠くなったが、続いて脇腹を襲った苦痛が正気に返らせた。
「有り体に吐いてしまえ、申さぬと責め殺すぞ!」
打役の言う通り、このまま責め殺されては、記録にすら残らぬであろう。
そのようなことは公に黙許されているのだ。
百と五十も打たれたであろうか。
尚も口を割らぬ信乃に、打役は責め具を変えることにした。
箒尻を捨て新たに手にしたのは、牛の革で作られたしなやかな鞭であった。
革鞭が空を切り、脇腹に振り下ろされた。
「ぎゃッ!」
刹那、信乃は張り裂けるような悲鳴をあげていた。
続いて肩に激痛が走る。
それは、竹の笞とは異なる極めて鋭い痛みであった。
情け容赦ない鞭打ちに、信乃は激しく身をよじった。
身体が揺れ、足枷の鉄鎖が乾いた音を立てたが、それで縛めが解ける筈もなかった。
「……うあぁ!……ひッ!」
息をすることもままならなかった。
滂沱として流れる涙が、頬から顎先へ伝った。
苦痛のあまり気を失うと、冷水を掛けられた。
そして再び、怒声とともに鞭が振り下ろされる。
「吐け、吐かぬか!」
永久とも思える時が過ぎてゆく。
だが信乃が口を開くことはなかった。
何度目かの失神と共に、ようやく拷問は中断された。
*
「ぐぅ……ッ」
三枚目の石を抱かされ、信乃は堪えきれぬ呻きを漏らした。
三角形の木を五本並べた上に正座させられ、膝の上に重石を積み上げられていた。
信乃は眉根を寄せて耐えていた。
全身が苦痛の汗で濡れている。
あと一枚でも積まれたら、とても耐えられないだろうと思った。
「おい娘、少しは素直になったか」
横田の声に反応して、信乃は眼を開けた。そして果敢にも相手を睨みつけた。
「ハッハッ、いい度胸だ」
四枚目の石が積まれる。
「うあッ! あぁぁ……」
信乃は甲高い悲鳴をあげていた。
痛みに息がつまり、瞳から涙がこぼれる。
石は縄で結わかれ、首に掛けられた。
どんなに信乃が暴れても崩れることはない。
逃れることのできぬ苦痛が、信乃を責め立てていた。
顎先から滴る汗が、重石を濡らした。
責める者、耐える者ともに無言のまま、時が過ぎてゆく。
「……白状して楽になれ」
横田の言葉にも、信乃は無反応であった。
抱き石に足が掛けられた。
信乃の膝に、さらなる重みが加わった。
横田は足に力を込めて、重石を揺さぶった。
「ぐ、ぐぁッ! ……ひあッ!」
信乃は眼を見開き、悲声を張り上げた。
頭を振り乱し上体をよじったが、後ろ手に縛られ重石を抱かされた身体は自由になるはずもなかった。
「はぁぁ……う……うぁッ……あぁ」
汗まみれの頬に、涙の筋が重なった。
信乃はただ泣き続けた。
息が早かった。喘ぐ口の中に、赤い舌がちらりと覗いている。
「たまらぬな。苦しみとも悦びともつかぬいい顔だ」
信乃は何か言い返そうとしたが、苦痛を堪えるだけで精一杯であった。
横田は竹の笞を手に、信乃の背後に立った。
信乃は歯を食いしばって、きたるべき激痛に備える。
ビシッ
「ぐうッ!」
肩を打つ鋭い痛みに、信乃は呻いた。
服の上からであったが、笞の威力は十二分に伝わってくる。
横田は容赦なく、同じ個所を繰り返し笞打った。
ビシリ、ビシッ、ビシッ
肩、背中、二の腕、そして胸にも笞があてられた。
「うッ……ああッ!」
打擲を受けるたびに信乃は悲鳴をあげた。
信乃は重石で下腿を責められ、更に笞で打ち据えられていたのである。
*
信乃が意識を取り戻したのは、明け方のことであった。
石畳に横たえられた身体は、あらゆる箇所が悲鳴をあげている。
縄で縛られたままの手首、冷たい枷をはめられた足首。
そして、全身に残る笞跡の痛み、石抱きで痛めつけられたすねの痛み。
燃え残っている蝋燭が、蔵の中をぼんやりと照らしていた。
おぞましい責め道具の数々があった。
信乃は目を閉じて再び眠ろうとした。
来たるべき試練に備え、少しでも抵抗力を回復させなければならない。
今日を耐えれば、明日を耐えれば、脱出の機会があるやも知れぬ。
そう信じることなしに、耐えられる拷問ではない。
……
「起きろ」
夢うつつの信乃は、突然腹を蹴られて呻き声をあげた。
「よく眠れたかね?」
横田勘解由であった。火盗改め自ら拷問に立ち会うとはご苦労なことだと信乃は思う。
だが己が屋敷に忍び込んだ曲者がどのような密命を受けていたのか、知りたいのは当然のことでもあった。
しかし信乃はそれを言う訳にはいかぬ。
「この拷問蔵を無事に出られた者はおらん。白状するか責め殺されるかだ。中には自ら命を絶つ者もおる。気丈な娘よ、おぬしは何れを選ぶ」
「……どれも願い下げよ」
信乃は捕らえられて以来、初めて口を開いた。
だが、それ以上は何も喋ろうとはしなかった。
「は、は、はっ。昨晩の責め苦も、お前には生易しかったようだな。よかろう、せいぜい意地を張って、我々を楽しませるがよい」
信乃は水だけ与えられると、木馬責めに掛けられた。
忍び装束の上から高手小手に縛られ、三角形の拷具にまたがらされた。
鋭く削り立てられた木馬の背が、股間に食い込む。
「……つウッ」
ぐっと唇を噛んで激痛に耐えた。
さらに両足首に縄を掛けられ、重石を釣り下げられた。
「あぁッ!」
陰部を襲う強烈な痛みに、信乃は悲鳴をあげた。
股間に掛かる重みを少しでも逃そうと、膝に力を込めて木馬を挟み込む。
だが、木馬の上で身じろぎした彼女は、激しい苦痛という報いを受けた。
「……あッ……くっ!」
そんな信乃を見て、横田は嗤い声をあげた。
「は、はッ。どうだ、木馬の乗り心地は。動くと辛いからな、できるだけじっとしていることだ。……まぁ、じっくり耐えるがよい。我々は気が長いからな」
梁から吊された縄が、信乃の上肢に繋がれる。
信乃がどれだけ暴れても、もう木馬から逃れることはできないのだ。
全身から吹き出す苦痛の汗が、胸元を流れ、顎先から滴り、内股をじっとりと湿らせた。
信乃は、頭を右肩にあずけてじっとこらえていた。
息をするだけでも、股間の痛みが増すような気がした。
「わしは所用があるゆえ、おぬしに付き合うことはできぬ。夕刻また戻ってくるが、その頃はおぬしも素直になっていることだろうな、はっはッ」
木戸が重い音をたてて開き、横田が出てゆく。二人の下男もそれに続いた。
やがて扉が閉まる音がした。
薄暗い拷問蔵に残された信乃は、木馬の上で独り激痛に耐えるしかなかった。
後ろ手に縛められ足枷を繋がれた身体は自由になるはずもなく、情けを乞うべき相手もいない。
ただ、股間を責めさいなむ耐え難い痛みがあるだけであった。
信乃は浅く息をつきながら、時折こらえ切れぬ呻きを漏らした。
全身が熱かった。
忍び装束は汗に濡れ尽くし、胸元から湯気が立ちのぼる。
やがて、両脚は痺れて感覚がなくなった。
だが陰部の痛みは止むことがない。
それも、一刻ごとに苦しみが増してくるような気がした。
……この世にこれほどの苦痛があるとは思わなかった。
幾度も、もう限界だと思った。
拷問者たちが再び現れたら、許しを乞わずにはいられぬだろう。
だが信乃の望みとは裏腹に、男達はいっこうに姿をみせなかった。
永劫とも思える時間が、ゆるりと過ぎてゆく。
地獄は二万由旬の地下ではなく、拷問蔵の木馬の上にあった。
拷問蔵に横田が再びあらわれたのは、八ツ時をまわった頃であった。
信乃の意識は朦朧としていたが、扉が開く音には敏感に反応した。
涙で滲んだ視野に、待ち焦がれていた男の姿が映じた。
「お……おろして……」
かすれた声で、信乃は哀願した。
「白状すればすぐに降ろしてやる。おまえは何処の手の者だ、何をさぐりに来た」
「く……ぅ……」
喉元まで出かかった言葉を、信乃は必死に噛み殺した。
「早く喋ったほうが身のためだぞ。洗いざらい話せば、命だけは助けてやらんでもない」
命はとらぬという横田の言葉は、偽りであろう。
だが今の信乃にとっては、余りに魅惑的に聞こえたのだ。
彼女の心中で、最後の葛藤が起こる。
そんな信乃の苦悶する顔をみて、横田が嗤った。
「もっと素直にならねばいかんな」
横田は木馬を両手でつかみ、前後に揺さぶりをかけた。
「う、うあぁぁぁ!」
股間から発した激痛が、全身を貫いた。
信乃はクワッと目を見開き、けたたましい悲鳴をあげていた。
涸れ果てたはずの涙が、頬を流れる。
「吐け! 吐かぬか!」
横田に替わって下男が、力の限り木馬を揺さぶった。
「ぐッ! ぐあぁッ!……」
拷問蔵には、木馬の軋む音と、信乃の悲鳴が響いていた。
木馬の背に食い込んだ股間から、新たな血が流れ出した。
うなじで束ねられた髪が振り乱され、宙を舞った。
「やめてぇ! ……もぅ、やめてぇ!」
「まだ白状する気にならんのか」
「いや……い、いやぁぁ!」
「よい覚悟だ」
横田は笞を手にとった。
渾身の力を込められた笞が、信乃の背中を打った。
「ひッ!」
笞の痛みと木馬の痛みが、同時に身体を襲う。
横田は容赦しなかった。信乃の身体は続けざまに笞を受けた。
背を、腕を、太股を、そして胸をも笞打たれた。
笞が肌を叩くたびに汗粒が飛び散った。
首を仰け反らせて、信乃は泣き叫んでいた。
「やめてぇ! おろしてぇ!」
「白状するまで降ろしてやらないぞ!」
下男はさらに力を込めて、木馬を揺さぶった。
横田はさらに力を込めて、笞を振るった。
上肢は笞で、下肢は木馬で責められ、信乃は絶叫した。
「!!!!!」
それはもはや、人の声ではなかった。
「何を探りに来たのだ、吐け!」
横田の怒声ももうはっきりとは聞こえなかった。
自分の悲鳴が、どこか遠くから聞こえてくるような気がした。
意識が少しづつ遠のいてゆく。
ひときわ大きな悲鳴と共に、信乃は気を失った。
*
何事も無く十日ほど過ぎた。
木馬責めを受けた後の数日は、立つことはおろか這うこともままならなかったが、ようやく下腿に感覚が戻ってきた。
だが股間の痛みも、石抱きで痛めつけられた脛の傷も、そして全身に刻まれた笞跡も、未だ癒えてはいない。
そんな或る日、信乃は再び拷問蔵に引き出された。
今までとは異なり、何ひとつ詰問されることなく、責めの用意が始められた。
もはや、彼女の自白など意味を失っているのかもしれぬ。
信乃は、己が試し責めに掛けられるのだと思った。
苦悶する女囚の姿を愉しむためか、あるいは効率の良い責め方を研鑚するためか。
拷問の指示を出しているのは、まだ若い侍であった。
新米に責め方を教えるためだろう。
信乃はそんなことを考えていた。
囚衣の上から上体を縛められ、両腕を背中で括られた。
両足首も縄で括られ、背中で手首と共に縛られた。
信乃の身体は、逆海老に反った状態で高々と吊り上げられた。
腕に肩に、そして足首に縄が食い込む。
一本の縄で吊られた信乃の身体がゆるやかに回り、彼女を取り巻く役人と下男たちの姿が瞳に映じた。
「石を乗せい」
若い役人が命じた。
一抱えもある重石が用意された。
信乃の背中に乗せられ、縄で身体に縛り付けられる。
「ぐ、ううッ!」
背骨が折れるほどの痛みを感じた。
同時に、縛められた縄がさらに身体に食い込んだ。
四肢の関節も悲鳴をあげている。
役人が箒尻を手に取り、信乃の肩を小突いた。
「あッ、く……」
身体を揺すられると、さらに四肢の痛みが増した。
脂汗がじっとりと吹き出してくる。
胸に掛けられた縄が食い込み、息をするのも苦痛であった。
そんな信乃の反応を面白がるように、役人は箒尻で彼女の身体を小突きまわした。
突如、振り上げられた箒尻が、空を切る。
乾いた音とともに、信乃は激しく肩を打たれていた。
「うあッ!」
さらにもう一発、二発。
逆海老反りに吊られている信乃は、その笞の痛みを何倍にも感じていた。
囚衣の上から、それもかなり手加減した打擲であったが、まさに身体が粉砕されるような苦痛であった。
笞打たれるたびに身体が揺れ、縄が食い込む。
視界がゆるりと回り、眩暈を感じた。
役人は、信乃の乳房にも笞を当てた。
「あッ、あん!」
堪らずに悲鳴をあげた。涙が頬を伝った。
だがそんな笞も、この恐ろしい拷問の始まりに過ぎなかった。
「それ、縄を巻いてやれ」
下男が立ち上り、信乃に手を掛けた。
そして一方向に身体を回しはじめた。
五回し、十回し。
信乃を吊るす縄がよじれ、身体の位置も高くなってゆく。
やがて縄の限界まで捻られ、下男が手を止めた。
……これから自分の身に何が起きるのか、信乃は容易に想像することができた。
「回せッ」
役人の声とともに、下男が手を離した。
捻られた縄がゆるりと逆に回り始め、徐々に速さを増し、そして……
「く、あああぁぁぁ!」
我を忘れて泣き叫んでいた。
絞り出されるような悲声が拷問蔵に響き渡る。
信乃の身体は、独楽のように回った。
髪が振り乱され、汗が飛び散り、涙と涎が顔を汚した。
縄の縛め、関節の痛み、そして頭が弾けるほどの眩暈。
全身が悲鳴をあげていた。
回転は徐々にゆるやかになり、やがて静止した。
そして今度は、逆向きに回り始めた。
信乃はもう、悲声をあげることもできなかった。
役人も下男も手出しをせずに、信乃が苦悶する様を眺めていた。
右に回り、左に回り……
縄の捻じれが無くなるまで、責め苦は続いた。
身体中から吹き出した汗が、浅葱色の囚衣をぐっしょりと濡らしていた。
頭が重く、割れるように痛んだ。
臓物をすべて吐き出してしまいたいほどの不快感があった。
だがそれも、四肢の痛みに比べればものの数ではなかった。
「強情な娘よ、まだ吐く気にならんのか」
再び、信乃の身体に笞が振り下ろされる。
情け容赦無い打擲が、続けざまに襲い来る。
肩を、胸を、そして下腿をも笞打たれた。
口から泡を吹きながら、信乃は悶え苦しんだ。
何十回、身体に笞を受けただろう。
悲声はやがて呻きに変わり、最後には何の反応もみせなくなった。
息の上がった役人がようやく手を休めた時、信乃は半分意識を失っていた。
冷水を浴びせ掛けられ、信乃は弱々しく呻いた。
「もう一度回せいっ!」
再び縄が捻られてゆく。
そして……
「う……う、あぁ……」
気を失っていたのだろうか。
再び水を掛けられて、信乃は少しだけ意識を取り戻した。
鼻からも口からも血が流れている。
「お……」
降ろしてくれ、信乃はそう口にしたつもりだった。
だが実際には、弱々しく唇が動き、血の混じった泡が漏れ出ただけであった。
「どうだ、恐れ入ったか。降ろして欲しければ、はいと言ってみろ」
だが信乃は、役人が何を喋っているのか、聞き取ることができなかった。
耳鳴りが激しく、何も聞こえなかった。
視界も紅に染まり、役人の姿を見ることもできなかった。
「ええい、もう一度だ。もう一度回してやれっ!」
若い役人が指示を出した。
だが即座に横田が制止する。
「やめろ、もう限界だ。決して責め殺してはならぬぞ」
「はっ……」
役人は最後に一発、信乃の胸に笞をくらわせた。
背中の重石を外され、床に降ろされ、縄の縛めを解かれてゆく。
……己はまだ生きている。
消えかけた意識の底で、信乃はそれだけを感じていた。
続く
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